子供のいない人生を生きている私が、時々直面する問題は、自分は子供という後世へ残せる宝物を残すことなく、人生を終えてしまうのだな、私はこの世に何を遺すのだろう、ということです。
私の周囲の友人たちは、苦労もありながら、精いっぱいの愛情と努力で子供を育てていて、立派に社会に送り出すという、大きな役割を果たしています。そんな姿を見るにつけ、私はこの人生で、何を伝え、何を遺せるのだろう、何も残せないのに、人生の意味があるのかとふと考えることがありました。
そんな気持ちでいた時に、私にヒントをくれたのが、「後世への最大遺物」(内村鑑三著)という本でした。
著者の内村鑑三(うちむら かんぞう)氏(1861-1930)は、思想家で『代表的日本人』の著者で知られています。内村鑑三氏を知ったのは、TV番組で『代表的日本人』という著書が取り上げられていたのを観たのがきっかけです。その時に、とても魅力的な著書だったので、もっと内村氏の著書が読みたいと思い、検索したときに見つけたタイトルでした。
内村氏の「後世への最大遺物」というタイトルは、まさに、私の行き詰まった気持ちを解消してくれるのではないかと思わせてくれました。また、後世に名前を遺した偉人が、「最大」という遺物とは何なのか知りたい気持ちが、この作品を手に取らせました。
著書の中では「後世への最大遺物」の候補が次の順番で出てきます。
- 金
- 事業
- 思想
- 文学
- 教育
これらの遺物は、確かに後世へ遺すに値するものだと思うのですが、内村氏はそれらを遺すためには、才能や社会的地位が必要であり、誰にでもできることではない。だから「最大遺物」と名づけることはできないと思う、と言っています。
では、私のように凡人で一定の才能がないものにもできることは何かというと、内村氏が結論として導いたのは、
「勇ましい高尚なる生涯」である、と。
それはどういうものかというと、この世の中は、「失望」の世の中ではなく、「希望」の世の中であること、「悲嘆」の世の中ではなく、「歓喜」の世の中であるという考えを、生涯で実行して、世の中への贈物としてこの世を去るということである、としています。
そして、その「遺物」は誰にでも遺すことができる遺物ではないか、と言っています。
この文章を読んだとき、当時の自分は、どんなに真面目に生きていても、子供がいないということで、責められることが多く、肩身が狭いと感じながら生きていました。「子供がいないと気楽でいいね」とか「おままごとでいいね」など言われることが多かったので、子供がいないと真面目に生きていても、楽な人生と思われるのだなぁ、と自分の人生を価値のないものと思うことがありました。
だけど、内村氏のこの作品を読んで、そんな声に心を痛めてばかりでなく、「勇ましい高尚なる生涯」を生ききることを目指せば、そんな自分でも、人の役にたったり、喜んでもらえたりすることができるし、感謝の気持ちを伝えたり、人も自分も楽しい気持ちで暮らせるように、その人生そのものを肯定できるよう生きていくことができるのではないかと思いました。
小さなことでも、「ありがとう」の言葉を伝えたり、「あなたがいてくれて良かったよ」という気持ちを伝えたり、自分以外の人の存在を感謝で伝える行動は、自分にでもできるし、それを実行することで、他者の人生も自分の人生も意味ある肯定的なものにできると思えました。
もし、子供がいないということで、人生の役割や生き方に戸惑いや迷いを感じている方がいたら、自分がしっかり幸せに暮らすことが、後世への贈物になりうることを伝えたいと思います。
また、私自身も、これからも寂しい気持ちや否定的な考えが浮かんできたときは、内村鑑三氏のこの言葉を思い出し、自分の人生を明るいほうへ軌道修正したいと思います。
思いが上手に表現できなかったかもしれません。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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